進化論はゴジラだと言いたいのかどうか
久々の投稿 m(__)m
放送大学が2018年に制作した「“科学”からの招待状 地球生命シリーズ(全2回)」で使われる音楽について。そのうちまた再放送されるかな。
第2回『人類につながる生命進化』の半ばあたり、
多生物共生体の登場から、エディアカラ生物群の絶滅を経てカンブリア爆発を解説する一連のCGのBGMに、
「Who will know (24_bigslow)/悲劇」が流れる。なぜここで・・・
映画『シン・ゴジラ』(2016)の劇伴曲である。
曲のモチーフは、ヴェルディのレクイエムから得たと思っているが、それはともかく、
同映画の半ば過ぎ、熱線を吐くよう最終形態に変態したゴジラが、首相の乗った陸自のヘリEC-225LPや米空軍B-2戦略爆撃機を撃墜し、都心部を焼き尽くすシーンで使われる、人々の絶望を現すかのように、胸の締め付けられる物悲しい曲である。
まさか、ゴジラのような究極の生命体を生み出すためのプロセスが進化論だと言うつもりはなかろうけれども、
環境の激変が進化を促し、現れた新生物群が旧生物群にとってゴジラ的だとでも言いたいのか、
制作者の選曲の意図は不明である。
ともあれ、
生命進化の番組の録画再生を途中で止めて、シンゴジラを見直してしまった。。。
この地球生命シリーズのオープニングに使われた曲は、
「誰も寝てはならぬ (Nessun Dorma)」
プッチーニのオペラ「トゥーランドット」の有名なアリアである。
これもなぜ?なのだが、生命賛歌に聞こえてしまうから不思議なものである。
オペラから、勝利だとか愛だとか、あるいは
ゴジラから、悲劇だとか(死と)再生だとか、
進化論の研究成果に人文主義的な色彩を添えるのは、別の事を考えてしまって正しい理解の阻害要因になりかねない、、、
というか、
笑ってしまうのでやめて欲しい、と切に思うところである。