素集庵 - hut on a phase transition

散逸構造、形態形成、創発といった用語に触発された思考のメモ書き。趣味から政治の雑感も。

ワクチン、マスクの義務化を求める

今こそ、

厚生労働大臣または内閣総理大臣の権限、命令により、

ワクチンやマスクといった感染症対策、日常規範を義務化できるよう、法律を整備するべきだ。

 

ワクチン反対派や、3回目はいいや、等と言う者は、科学の理解、教育が足りていない。少なくても高等学校からやり直し、生物Ⅰから勉強し直すべきだ。中卒か教育困難校の出か?

正常な議論を期待するだけ時間の無駄なのか? たぶんそうなのだろう。

 

夜間に住宅街を歩くと、たまにすれ違う者の半数は、マスクをしていない。中には大声で話しながら通り過ぎる者さえいる。20代と思しきが多いが、殆ど、教育のあるようにはには見えない。

教化すべきである。が、これは別の議論。

 

しかし、こんな連中が、他人を命の危険に晒している。

人権だとか、私権の制限に関する反対論、躊躇は、決断できない日本の社会制度の現れ、害悪である。第二次世界大戦で、原爆を落とされてもなお国体の護持を議論しているような、決定できない帝国陸海軍部の病理と同じだと言わざるを得ない。

 

コロナワクチンには、接種のリスクを明らかに上回る既往症を持つ人にまで義務化せよとは言わないが、それ以外には義務化するべきだ。

アベノマスクは配布が主な話題だったが、着用こそ義務にするべきだった。マスクが足りないと騒ぎになっていた頃は、皆、着用したがっていたからだ。この時こそ、義務化のチャンスだった。

だが、今からでも遅くない。

 

コロナが去ってから落ち着いた議論を、等と言う政治家は無能、給料泥棒である。象牙の塔に籠った学術議論のようではないか。

 

人に迷惑を掛けない、という日本的美意識は、規範の浸透に要する社会的コストをミニマムにするための、秀逸な制度である。諸外国ではできようはずもない。

しかしながら、現代日本には、歴史的制度を理解できていない教育のない若年層が増え、そもそも規範の異なる外国人も多い。

もはや、人に迷惑を掛けない、という制度が生きているという幻想は捨てるべきだ。

 

何のための法律か。法律は、今この瞬間に生きる市民のためにこそあるべきだ。

後日ではどうせ、別の問題に忙殺されて、議論さえしない、できないのは明らかだ。

国民の生命・財産を守る、とは防衛談義で良く使われる言葉だが、正にこの原点に立ち返って、法律を機動的に整備するべきだ。

その事が、次に備えた国家の武器になる。権力とはその様にあるべきだ。