東京オリンピックはやめよう(その3)
東京オリンピックはやめるべき。
共産党と同じ事言うのは嫌なのだが、彼らは反対を言っているだけ。その意味では、前首相の反日レッテル発言は、正鵠を得ていると言える。
ここではそんな話ではない。
スポーツとかアスリートとか、それはもういい。そんなお題目は20世紀で終わりにするべきだ。この国は、というよりも、より頭脳に特化するべきだ。運動は健康維持の最低限で良い。
頭脳重視は人類の歴史であり、現在もその方向は先鋭化し、深まっている。ここではそこまで言わないにしても。
オリンピックをやったところで、1964年の再来はない。国民統合、国威発揚はもとより、国家改造の起点になど、もはや成りようはずもない。その意味では2025年の大阪万博とて、ただのイベントでしかない。
この懐古趣味を通り越した前例踏襲主義、意思決定できない大艦巨砲主義をあげつらうのはいくらでもできる。
せっかく感染症という理由が、それも極めて深刻な状況があるのだから、オリンピックなどやめてしまえばよい。
IOC委員の発言を聞くに、彼らは金の事しか考えていない。これほど侮辱されてまで続ける理由は何か。
想像の域を出ないが、一大スキャンダルに発展するだろうと見る。既に死人が出てもいるが、オリンピックをやめたら、逮捕者や更なる死者も出る事態に発展するのだろう。その通りなら、オリンピックの実施は、保身を図る者達による市民への圧政である。
本題はそこではない。
スポーツとかアスリートとか、これらを称揚するのはもうやめよう。それらは産業ではあるかもしれないが、極端なピラミッド構造を取る選別システムであり、人材の無駄遣いである。競技や記録は国家の維持発展に寄与しない。
この国には、予算のバラマキを続けられる国力はもう残っていない。
頭脳を競う国家に変わるべきだ。