素集庵 - hut on a phase transition

散逸構造、形態形成、創発といった用語に触発された思考のメモ書き。趣味から政治の雑感も。

マイナンバーカード発行手続きに見る無謬性の問題

お役所仕事という言葉の意味は、無謬性を担保するための手続きに時間が掛かること、かつ、実は誰も責任を取らないという事である。

たまたま、マイナンバーカードとクレジットカードをほぼ同じ日に申し込んだら、予想通りの結果が出た。

 

クレジットカードは、申し込んで7日目に、書留で送られてきた。それも、到着前から番号は分かっていて、申し込んだサイトでは発行時点でから即時使えるようになっていた。

 

マイナンバーカードは、発行から18日目にしてようやく、役所に取りに来いという通知が来た。

遅い。役所に行くにも交通費が掛かる。持ってこいという話である。

運転免許証のような本人確認書類に、住基カードの回収、首長宛の自筆署名まで要求される。

受け取りには、事前予約は必須ではないが、3日前までの申し込みとあって唖然とした。ピザ屋は30分前であるし、よく使うスタジオなどは5分前でも受け付けてくれる。顧客サービスとは何であるのか、よくよく理解するべきだ。

 

発行手続きなど、民間に任せればよい。 

マイナンバーカードなど、携帯電話や免許証やクレジットカード、健康保険証ともセットにしてもらいたいくらいである。

 

なぜこんな手続きになっているのか、容認するわけではないが、理解できない事ではない。

役所のせいというよりも、日本人が他社に求める無謬性に、その本質がある。

例えば、電話料金が高いのは、システムを止めないための投資だという説明が電話会社からある。半分はその通りだ。メンテナンスのために、月に1時間でも停止してもよいというなら、電話料金は劇的に下がる。

この停止時間を許さない、すなわち他者に無謬を求める性向が、日本社会のあらゆるところに浸透していて、結果、役所に無駄な仕事をさせることになる。

 

その無駄な仕事のツケは市民に返ってくる。取りに来い、という感じで。