素集庵 - hut on a phase transition

散逸構造、形態形成、創発といった用語に触発された思考のメモ書き。趣味から政治の雑感も。

書道はマイナーなのか(その1) 中小企業問題

東京都内の書道具・書道用品店一覧(2022/2/3~2/13調査, 一部の閉店情報を含む)ができた。近所の書道具店を探し始めたところ、確度の高い情報が中々出て来ない。情報をかき集めるうちにその理由がよく分かった。書道業界そのものが問題だった。

 

ひとえに、 中小企業問題である。

デービッド・アトキンソン氏等の議論が、とてつもない説得力を持って響く。すなわち、中小企業の低生産性・規模の経済の必要性、である。

 

廃業や店舗閉鎖が多いのはなぜか。

 

ネット通販の伸長や、コロナ禍による来店者数の急減少も、要因としては確かに大きな問題ではあろうが、本質はそこではない。

目についたのは、(1)「後継者がいない」、あるいは、(2)「創業者による趣味の店」、これらが店舗閉鎖の主要因であり、市場が伸びない=書道がマイナーなままである、原因である。

 

(1)後継者問題と規模の経済

 

企業はまず、存続しなければならない。ドラッカーだったろうか。

すなわち会社は、新規顧客を獲得し続けなければならない。既存の顧客は、そんなに遠くない時期にいなくなるからだ。そして、存続して「永続的な取引を担保」、簡単に言えば「逃げない」という約束(コミットメント)をマーケット・市場に対して行い、信頼と安心を勝ち取らなければならない。

 

例えば、Webサイト。これがない。あっても素人の手作りで、見ている者に必要な情報が欠落しているようでは、その会社や店舗で買い物をしたいとは思わない。特に、書道用具店をWebで探しているような初心者顧客に対しては、会社自らその入口を塞いでいるのである。

Webサイト上では企業規模は関係ない。対するは、物流システムをひっくるめてのオンラインショップの雄 Amazon であり、日本最大の消費財メーカー トヨタ自動車 である。そのつもりで構えるべきだ。

ネット時代草創期の1990年代ではなく、Web技術が大きく進展した今時の、特に企業のWebサイトは、プロのグラフィックデザイナーやプロのプログラマーが必要、大企業といえども、自前主義は難しくなってきている。すなわち、資金投入が必要となるわけだが、個人企業や零細企業では到底無理な話である。(この業界でも大手と言われる企業のサイトは、それなりに手の込んだ作りをしているが。)

書道に限らず、今時、Webによる店舗情報はあって当たり前。最低でも、取扱商品、住所電話番号、営業時間くらいは最低でも書いておくべきだ。

後継者がいないという、他の業界の小売店でもよくある「三ちゃん企業」かそれに近い状態では、その事自体が、存続のリスクである。現に、次々と無くなっている。

東京を撤退した他地域に本社のある会社も、発想が高度成長期のままなのではないのか。日本の最大都市に営業拠点を作れば、人口増・購買力増に任せて勝手に売れるとでも思っていたかの様だ。

ここで営業とマーケティングの違いをおさらいする。営業は販売価格を決めて売り込むのが仕事。マーケティングは販売可能価格を算出し、買いに来るように仕向けるのが仕事。ビジネススクール的にそう割り切れば、大都市に拠点を作るのはマーケティングの仕事であって、営業の仕事ではない。

すなわち、中小企業にマーケティングを行う余力は、普通はない。(大企業でも営業とマーケティングの区別のついていないところは多いが。)

すなわち、会社規模を大きくしないと、マーケティングもできない。できない事だらけなのである。特に、顧客の購買行動にWebは必須、その受け皿としての商流・物流では、それこそ取扱商品が被っている Amazon と対抗する気概で取り組まないと、本当に皆消えてしまう事になる。

 

(2) 趣味の店問題・企業は存続すべし

 

顧客は高いものを買わされている。これが結論である。

趣味人が、その人的ネットワークで始めた店で、最初から一代限りのつもりでやっている、そうとしか思えない店が結構ある。そのつもりはなくても、結果として、創業者に頼りすぎて一代で終わってしまった店もある。

これらの店舗に共通する特徴の一つに、ブランド商品がある。プライベートブランド化である。どこそこの職人が手掛けた、とか、あの先生がいいと言った、とか。そう言った商品を、自分の店だけで、特定の小売店舗でだけ販売するのは、あまりにも非効率である。

 

また、ある店で、10年以上在庫したという硯のセールをやっていたが、この在庫回転率の悪さが全てを物語っている。物販の小売店舗でジャスト・イン・タイムをやれとは言えないが、コンビニエンス・ストアに近付ける努力はするべきだ。この長期在庫の話には本当に驚愕した。信じられない。ありえない。

売れないものを仕入れたいう事に尽きるとしても、論としてはありだろうが、少し掘り下げる。

半年かそれ以上在庫したら簿外にして損金計上、もし売り上げが立ったら同時に何らかの仕入れを立てれる等々、、、文字通りにやると脱税になりかねないが、管理会計財務会計中小零細企業では難しいのではないか。ましてや趣味人の趣味の店では考えてもいないとしか思えない。

 

会計を甘く見ていると、企業存続のリスクが必ず現実化する。有体に言えば、潰れるのである。その企業だけの問題ではない。マーケット・顧客層という、何かふわっとしていて目先の売り上げに直結しそうもない、良く分からないものを相手にしていると思っているのかもしれないが、目先の固定客だけで会社は回らない。固定客はいずれ必ずいなくなる。常に新規顧客を迎え入れなれば、会社は存続できない。

存続できなくてもいい、と考えている経営者がいることは事実である。仕入れ先から顧客までが細い鎖(サプライチェーン)でしかないのであれば、値段は上がるに決まっている。多品種少量生産が通じるのは、大量生産販売の市場があってこそだという事を、肝に銘じておいてもらいたいものだ。

 

こんなことが続けば、マーケット・顧客層は必ず萎む。書道には金ばかり掛かると思えば(そう思っている愛好家は多いが)、書道そのものが廃れかねない。ただでさえ人口減の時代なのである。娯楽の選択肢は限りなく広がっているのである。筆が使えなくても生きていける、あえて書に親しむ必然性など、既にどこにもないのである。

そこまで言わないまでも、商品を提供される機会を失う顧客が出て来る。ネット通販はあっても、商品を直に見て、話を聞いてから買いたいと思っても、住む場所によっては実現できない顧客さえ出て来る。既にいるだろう。

 

開かれた市場制度が保証されたのを明治期とするかどうかは別としても、それ以前からずっと現在に至るまで、こんな市場構成、中小零細小売が多い・趣味人が趣味で店舗を運営、で来ているのが書道業界である。

上記(1)で、皆消えてしまう、と書いたが、もしかすると、ずっと停滞した業界のままかもしれない。人口減の世界では、消えてしまうと考えた方が自然だとは思うが。

 

(業界大手の量販店、大手の用品メーカーには、将来への危機感が強くあるものと、期待はしている。)

 

さて、趣味の店でなくても、プライベートブランド化は起こっている。店舗名を冠した文房四宝(硯や紙はあまりないが)の販売である。職人を抱え込み、ブランド化して自店舗でのみ販売する、という商流がよくある。特に筆の製造販売で顕著、ある種の垂直統合が行われている事を知った。

漫画「とめはねっ!鈴里高校書道部」に、安価に筆を作るため山羊を輸入したものの失敗したという書道用品の店主が登場する。

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漫画としては笑うところだが、本質的に笑い事では済まない問題を孕んでいる。(この漫画、実に鋭い。)

書道用品店はセブンイレブンになれるのか? この場合のセブンイレブンとは、顧客志向に合わせた商品企画開発と大量仕入れ販売による低価格化を実現したプライベートブランド商品を持つ、という意味である。

中小企業乱立状態で、個々の会社ごとにプライベートブランドを作ってどうするつもりのか、と思ってしまう。

とはいえ、実際に起こっている事であるから、量販効果・利益率向上には多少寄与していると、各社判断しているのだろう。だが、中小の小売店舗でだけ売るよりは、大規模化した方がより量販が可能になるのは誰が考えても明らかだ。セブンイレブンとて、あの店舗数があっての勝算のはずである。

大規模化した方が、仕入れ交渉力の向上から、在庫の回転率向上、結果としての利益率・利益額向上に寄与するのは、むしろ当然の帰結である。(まあ、大企業でも時々失敗している事はあるけれども。)

 

売店舗の意義と書道業界の未来:

 

書道用品は、初心者向けの低価格帯を除けば、嗜好品・(値段が高いという意味での)高級品である。この嗜好品の類は、現品を見てから買いたいという顧客のニーズは、全くの正論である。また、初心者とて、何でもよいわけではなく、何が必要で何が不要なのか、お勧めは何か、予算とギリギリの相談もある。これが小売店舗へ実際に赴く理由である。

なるほど、小売店舗へ行くと、親切に応対してもらえる事が多い。専門知識・商品知識が必要である点だけを取っても、専門店を構えるだけの意味はある。コンビニやスーパーで商品の相談をする気にはなれない。アルバイトやパート従業員は、高校の書道部や大学の書道科の出身者もたまにはいるかもしれないが、書道の知識・技量を期待しての採用ではないはずだからだ。

売店舗の意義は、新規顧客の獲得の手段であり、マーケット・市場を安定成長させる装置である。趣味人のための高額嗜好品が最終目的ではないと訴求する事が、最大の課題である。

大規模化を実現すれば、実行可能な業務が増えつつも間接費(率)は下がり、結果として量販を達成し、適正価格をもたらし、仕事量を確保することで仕入れ先の職人にも恩恵をもたらす。

それによって、よりオープンな商品情報の開示、どこでも買える均一な品質と価格、これらを達成してもらいたい。

 

店舗探すのに苦労しないで済むように。書道の入口の敷居をもっと低く。そして何よりも、各小売店舗が生き残るために。

 

 

補足:

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漫画「とめはねっ!鈴里高校書道部」より。(この漫画は、本当によく業界を観察している。)

 

書の「作品」が、絵画ほどの市場価値がなく、そのせいで、と強く思うのだが、書道関連の団体が乱立している。これも、用品店に中小規模の企業が多い背景になっているように感じられる。

経産省はあまり関心がなさそうな気がするが、文部科学省あたりには、天下り先の確保であったとしても、業界の産業育成の観点から立ち入っても良いように思う。

この辺りについては、今後、論をまとめる気になったら、別の機会に書くことにする。