高校卒業資格の厳格化を
大学入学共通テストの6教科800点満点で500点以上を、高校卒業資格にしてはどうだろうか。
旧大検の、高卒程度認定試験をもっと厳しくしてもよいのだが。
名目だけの中等教育終了に意味がない。高校無償化など、教育困難校を制度化、固定化するだけだ。
日本の生き残り策は、教育水準の底上げと、エリート教育の両方にあると考える。
ここでは底上げの話をする。エリートは高等教育である大学以降での話。
小学校入学の機会均等は保障するべきだが、
その後は、能力に応じてスキップも留年も制度化するべきだ。人間の能力は同じではない。同年代の集団において、共時的にも歴史(人生)的にも分布が生じるのは、むしろ当たり前のことだ。
6歳で大学に入れる天才の目を摘むことなく、20歳でようやく高校卒業できる凡才にも手厚いケアを施す。
底上げの方が厄介なのはその通りだろう。制度的ケアは必要だ。
思うに、中等教育までは、極端に言えば、公文式の学習方法でいいのではないか。単位制高校も増えているように見受けられるが、なまじ学校という1年単位の箱を作るから硬直化するのであって、細かく柔軟な学習進度を担保すれば、個別の学習ケアもしやすくなる。
こうなればスキップも留年もなく、所定の学習をいつ終えるか、だけの話になる。
その上で、現在の大学入学共通テストのせめて6割程度の得点をもって高校卒業とする。
職業や結婚、政治参加の制限他、運転免許受験資格制限でも何でもよいのだが、高卒資格をもっていないと社会的不利益があるように誘導ないし制限を設ければ、20歳になるくらいには、殆どの者が高卒にはなれるだろう。なれるように制度詳細を設計すればよい。底上げが目的である。
もっとも、この程度の学力には、さほどの意味もない。今よりはずっとマシ、という程度だが、教育水準は拡大再生産する傾向にある。親の教育水準が低いと、子供もそうなりがち、という事だ。日本はもう待ったなしなのではないか。
高等教育の成果こそ国家の現在と将来を決める。この高等教育の方も惨憺たるものだが、ともあれ、その前段としての中等教育水準の大幅向上のため、手段はもっと大胆であるべきだ。