素集庵 - hut on a phase transition

散逸構造、形態形成、創発といった用語に触発された思考のメモ書き。趣味から政治の雑感も。

国境とか領土とか

フランス革命によって誕生した近代国家が、現代の意味でいう国境を産んだという議論には説得力がある。王権から人民政府が引き継ぐ範囲を明文化するという作業の結果が国境であるという議論である。

これに沿って、中世封建時代の領域はご破算に願う事とし、近代国家による領有、実効支配を出発点に考えよう。

 

日本の場合。

朝鮮半島の近代国家成立は日本の敗戦によるものであるから、韓国の主張は何ら意味がない事になる。李承晩ラインなど戦争行為に等しい。

中国大陸における近代国家は、人民共和国成立時点でも妥当な解釈だと思うが、どんなに遡ったところで中華民国成立時とみるべきであるから、それより以前に琉球王国を併合していた時点で、現中国の主張にも意味がなくなる。

もっとも、大陸も台湾も、海底・海洋資源・安全保障上の都合から領有権を主張しているのだから、本質的に議論が嚙み合っていないことは、承知しておくべきだろう

 

近代国家成立以降の国境・領土変更は、基本的に、戦争の結果にはありえない。民主的手続きによる帰属の変更など、あっても面白いとは思うが、現在の主権国家の在り様からは考えられない。

 

つまり、北方領土の平和的返還はあり得ないと見るのが現実的だ。日本は、近代国家同士の戦争に負けた。その後の実効支配を許さざるを得なかった時点で、実質的に決着がついている。

サンフランシスコ講和条約時点での解釈とか、南千島の範囲について許容したと受け止められる吉田茂首相(当時)の発言等を考えれば、現在の問題は、そもそもが冷戦の産物である。米国による横槍、対旧ソ連の線引きとして対立を煽ったのが始まりであり、それが今でも続いている。

 

対ロシアについて、平和条約を目指す必要が本当にあるのだろうか。そもそも、平和条約を締結しないとできない事とは何か、浅学にして理解できていない。戦後処理とか国交正常化というわけでもなかろう。

平和友好条約とやらを結んでいる中国は現在どうか。相手が約束を守る国であれば条約でも結べばよいが、そうでなければ対立軸をそのまま残しておく方が得策なのかもしれない。