素集庵 - hut on a phase transition

散逸構造、形態形成、創発といった用語に触発された思考のメモ書き。趣味から政治の雑感も。

海外発送を促進しよう

米国のオンラインショップや、オークションサイトで買い物をすると、UPSFedex で、平然と送ってくる。

稀に、成田の税関から公序良俗違反の通知が来るのはご愛嬌。

 

米国のサイトではたまに、海外発送に購入額下限が設定されていることもあるが、米国から見て海外発送しない、というサイトには当たったことがない。

翻って本邦では、海外発送するサイトの方が少ないように思える。感触では、たまに見かける、という程度だ。

 

理由を考えてみた。

 

海外とやり取りできる程の語学力がない、特に英語ができないのか?

日本社会に蔓延する語学学校や教材の隆盛を見れば、それは間違いないだろう。

 

しかしそれが本当の理由ではないのではないか。

日本語で商品紹介している日本のサイトで買い物するのに、日本語のできない顧客がそれほど多くいるだろうか。

海外発送をオープンにしたからと言って、外国語で応答する義理もなかろう。

 

海外発送の手続きは存在する。

郵便局からでも発送できる。しかし、面倒だし送料は異様に高い。送料の算出が簡単ではない場合も多く、これでは商談し難い、あるいは、できないのは間違いない。

すなわち、心理的抵抗の方が大きいのだろう。

 

心理的抵抗というのは手続きの事だけではない。

米国人と話していて思うのだが、彼らにとっての外国との心理的距離は、日本人にとっての外国との距離感よりずっと近い。

覇権国の性格なのか、移民の国だからなのか、その分析は色々あろうけれども、抵抗がなければ海外発送を閉ざすこともない。

 

日本人が海外発送をしない、その他の理由もあると思うが、もっと簡単に送れるようになれば、「輸出」が増えるのは間違いない。

輸出は別に大企業だけの仕事ではない。

「輸出」を増やせば、手続きは競争の発生によってより簡素な方へ変わっていく、送料も下がることが期待できる。すると抵抗も減る「好」循環ができ上がる。

抵抗が減ると産業まで輸出してしまう懸念も産まれるわけだが、日本では経済学モデルが予測する様な空洞化は、簡単には起きないと考えている。日本は複雑な国である。

 

海外発送の増加は、経済規模の拡大のみならず、日本理解の促進にも寄与する。凋落目前と思える日本のためにも、政策的支援があってもよいとさえ思える。大した予算措置が必要なことではないだろう。

 

戦前の巨大総合商社「鈴木商店」を育てた金子直吉の言として伝わる有名な台詞を思い出してみる。
「内地の商売は、日本人同士の内輪で金が動くだけ。芸者と花合わせをやるようなものだ。何より、外人から金をとらなくちゃいかん。」